『きつねつきの科学』(講談社)高橋紳吾
抜粋文
47祖霊とわれわれがよぶのは、祖先の霊魂のことで、具体的には家制度を背景にして、祖父母のさらに祖先へとさかのぼっていくとき、次第に神に近くなる霊的存在のことだ。
48柳田国男『先祖の話』筑摩書房
55専門用語で「逃走距離―臨界距離」とか「パーソナルスペース」などとよぶ心理学の概念がある。動物において自分の周囲に何メートル敵が近づいたら警戒し、逃げはじめるかというのが逃走距離であり、ある一定の距離以上近づきすぎると逆に「窮鼠、猫を噛む」という具合に反撃をはじめるのが臨界距離である。逃げるのは被補色動物、つまりライオンにたいするシマウマである。
56身体のベクトル空間(図)
70『人狐弁惑談』陶山尚迪(雅号・大禄)
71エルヴィン・ベルツ『官報』第469、470、1885年「蓋し、この症に関して印度、波斯(ペルシア)、支那、日本、パレスチナ等より来る所の報告は概ね皆相類似せり」「印度、波斯においてはこれを鬼の所為となし、東方亜細亜に於ては、これを、一、二の獣、就中狐狸若くは犬の所為に帰せり。蓋し、東方に於ては人常にこれらの獣類をもって非凡の力を有するものと妄信するによるなり」「狐憑は唯この病を信ずる人のみを侵して、この病を信ぜざる人を侵すことなし」
74門脇『狐憑病新論』
80かつては超越的な神や悪霊がその主役を占めていた。いわば古代と近代に挟まれる時代は、日本でもヨーロッパでも「狂気の鬼紳論的理解にいきわたっていた時代」(宮本忠雄『妄想研究とその周辺』弘文堂)出会ったけれども、現代でも過去においてみられたものがすべてなくなったわけでははないし、新たに鬼や神がつくられ続けている可能性は高い。
88二人組精神病……発端者は妄想型の精神分裂病ないしパラノイア(妄想症)であることが多く、継発者は心理的に近い肉親や同居者がほとんどで一種の心因反応である。
90高橋紳吾『二人組精神病と洗脳』月間イマーゴ4-9、1993年8月号
94石塚尊俊『日本の憑きもの』未来社、1959年
95こっくりさん……「狐狗狸」さんと書いていた。……実際には明治十七年に伊豆下田近くで破損したアメリカ帆船の船員によってもたらされた、西欧降霊術の流れをくむものだ。(平野威馬雄『井上円了妖怪学講座』リブロポート、1983年)これが翌年に一気に全国に流行してしまう。
100松江に在住した小泉八雲は日本の妖怪や奇獣を記録したが、これ(きつねつき)をデーモン・フォックス(悪魔の狐)と訳している。(『知られぬ日本の面影』角川文庫)
101支配階級は稲荷信仰、農民たちは密教系山伏信仰という対立構造……。
106シャーマン……巫覡(ふげき)
110憑依の日独比較
111日本とドイツの「憑く」と「成る」(図)
119生理的欲求と象徴的欲望……市川浩は前者を身分け構造、後者を言分け構造と呼ぶ(『精神と身体』頸草書房、1975年)
120まさにヒトは「意味」を探し求めて生きる動物なのである。
140自分のなかにもう一人の人格(つまり他者)を知覚し、憑かれているという意識を明瞭にもつことになって症状として幻覚や妄想が伴うことになる。……(『分裂病様症状を呈する祈祷性精神病について』臨床精神病理、5、109、1985年)
140記憶を分解すると記銘(覚えること)、保持(覚えていること)と再生・想記(思い出すこと)の三つの過程がある。
146変身願望とセミナー……徹底的な自己否定と洗脳
149洗脳という言葉はもともと中国語でhis nao(スィ ナォ)と発音されるが、英語ではそのまま訳してブレイン・ウオッシングという。
180憑依から「対人恐怖的自他関係」をのぞかれたものが「変身」である。
191都市シャーマン……彼らが「小宇宙の支配者」であると同時に、世俗に対してある種のコンプレックスや敵意を抱いていることが知れたのである。
192祈祷性精神病……森田正馬の命名による心因性の精神病(1915年)「加持祈祷もしくは類似した事情から起こって、人格変換・宗教妄想・憑依妄想などを発し、数日から数カ月にわたって経過する特殊な症例」で、森田は狐憑き、犬神憑きなどもこれに含めた。
195超宗教……特定の宗教団体には属さず、しかし、何かを信じ世俗とは次元の異なる生きがいをみいだす「信仰」を総称していう。
196新・新宗教や最近のオカルティズム(超宗教)の特徴は、とり憑いた霊をいかにコントロールするとか、霊をどう祓うかなどの呪術的でマジカルな、しかもきわめて個人的な問題にふかく関与しているところにある。(梅棹忠夫編『世相観察・あそびと仕事の最前線』講談社、1991年)かつての教祖、教典および教団の三要素をもつ「硬い宗教」のわくを若者は敬遠しはじめている。教祖(超能力者)と自己との距離が短く、場合によっては自分も超能力を得て教祖と同等になれると考えたがる傾向の若者は意外と多いのである。
198宇宙イタコ……現代の憑依の特徴をよく示している。そこで霊魂が「意識体」という現代的な名称で呼ばれ、祖先霊やキツネが「宇宙人」と変化し、憑依をチャネリングといったモダンな言葉になっている。しかし、言葉が変わっただけで、超自然的な存在が個人の肉体を借りてメッセージを伝える憑依(メディア)現象にほかならない。
202現代都市と憑依という一見矛盾する現象は事実をよく観察すれば謎が解ける。憑依はシャーマニズムにおいて必要十分な条件ではなく、憑依現象やその他の神秘体験がシャーマニズムの形成に関与しているのであって、その逆ではない。また(広義の)シャーマニズムは現代文明と【相反する】文化ではなく、同次元で論じられないものだ。だから宇宙ロケットの打ち上げに神主が祈祷するのである。
205若者の背後霊ブームで注目すべきことは、だれにでも守護する霊があること、背後霊に味方に引き込むことができるということだ。善と悪、神と悪魔といったヨーロッパ的な二元論では割り切れない、きわめて日本的な発想が脈々と流れ続けていることがここでも確認できる。
206異質な他者を自我のなかに取り込んでいくというのは、精神病理学の宮本忠雄(妄想研究のその周辺)によれば「自我拡大」という概念に包括され、非自我や他者を自我の外部へ排除するヨーロッパ的な「自我退縮」とは対照的なものだ。前者は憑依に代表される「自我が他者を包摂することによって一種の安定に達するという効果をもつかぎりで、日本的な防衛機制」(宮本)である。しかもこの機制は精神病に際して働くだけでなく、日常行動の危機場面にそのつど作用して自我の破綻を防ごうとすると宮本は説く。たしかにこういったメカニズムはツキモノにかぎらず、外来文化を拒否することなく、無限に消化吸収し、自分のものにしてきたわれわれ日本人の受容性の高さということとも関連してくるのである。
212日本では機械と一気に抜き差しならない関係になってしまうのである。
212日独の比較で宗教的な病態をとるものが、統計的有意差(危険率0.05以下)をもってドイツに多く、憑依を呈するものは逆に日本に有意に多いということは、憑依が一見したところ宗教と関係した病態にみえて、実はもっと奥深い日本人の精神構造に由来している証拠の一つだとわたしは考えている。
213ドイツ社会では強いリーダーシップと自己抑制・責任・契約などが重視される。宗教でもおなじことで、ドイツでは自己と絶対者である神との断絶それは表現され、自己は直接、神と向き合わなければならない。日本の神は祖先霊をもちだすまでもなく、自己の延長線上に位置し、憑依という現象を通じて容易に自己と入れ替わることができるし、祈祷や呪術によってこちらの都合に合わせてくれるものだ。日本人はしばしば何かを媒介にして神仏と向きあう。
213神とはいかなる文化圏においても他者の総体なのだとわたしは思う。


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