『日本史から見た日本人・古代編』(祥伝社)渡部昇一
抜き書き
7私はまず自分の先祖を愛する立場、先祖に誇りを持つ立場から語っている。
7自分の国の悪口ばかりを言っている人を活動させておくこと自体、現在の日本が高い文明状態にあると思い、それを誇りに思っている。
30『大日本史料』や『大日本古文書』の編纂は、日本の世界に誇る大事業である。
33天と地の中間の国・日本
33日本を「中国(なかつくに)」つまり、高天原と地下の黄泉国(よみのくに)の中間にあると考えていた。要するに日本人の祖先も自分の国を一種の「中国」と考えていたのである。
35ゲルマン人の元祖神のガウタズ(Gautaz)は、古高ドイツ語giozzun、古英語geotan、ラテン語fuudereと同一語源で「注ぐ者」、もっとはっきり言えば「精液を注ぐ者」というという意味で、創造の神である。ゴート語で種馬をgotiと言うが、これも同一語源から出ている。そしてこのGautazの神を氏神としていた民俗が、のちにゴート(Goths)、ガウテン(Gauten)、イエト(Geats)、ジュート(Jutes)などの種族になったのであり、これらの種族名の発音が違っているのは、方言としての変化によるもので、元来は同一であった。イギリスのアルフレッド大王家の系図にも、ちゃんとこの神様が先祖神として出てくる。
37ゲルマン人の宇宙観(図)
38王はその氏神の子孫であった。第一、王という英語キング(king)は、古い形ではkinyngと書かれ、「血族(kin)の頭(ing)」という意味に過ぎなかったのである。国家がとりもなおさず血族集団であって、系図がものをいう点では、古代日本とゲルマンは同じだったのである。
44シナの語源に関する考察
48『神国日本』ハーン
48ハーンの日本についての著作はカミに始まってカミに終わった。
52なぜ、天皇は「カミ」と呼ばれたか
54注目すべきことは、「死者はカミ」であるということである。
55日本の場合は、「神概念」は、とりもなおさず「社会の構造原理」であった。
56「日本という名の国の驚異は、この国の着ている無数の借り着の中に探しても見つからない。本当の驚異はそれを着ている人にある……そしてその特質は、明治の大変革に会っても、本質的に今日でも少しも変わることなく残っている……」と、ちょうど七〇年前にラフカディオ・ハーンは喝破した。われわれは、さらにこう付け加えてもよいかもしれない。「そしてその特質は、敗戦の大変革に遭っても、本質的には少しも変わることなく残っている」と。
65事実(ファクト)と現実(リアリティ)
68『ニューズウィーク』(1973年7月30日号)を見たら「天皇の番人」という標題で、宇佐美宮内庁長官が、いかによく天皇を見張っているかという記事が掲げられている。この中で『ニューズウィーク』は、今の陛下(昭和天皇)を「二六三三年の昔から中断されたことなき一系の皇統の第百二十四代目の天皇」と表現している。これは神武天皇の即位が紀元前六六〇年に行われ、その後も記紀に名前が挙がっている天皇が全部存在したという立場からの記述である。
73それぞれの国が、その目的に便利なものを全部掻き集めて使ったのである。ひどい目に遭ったのは紀元節のほうであり、迷惑したのは神武天皇のほうである。
76「伝統への敬意」こそ民主主義の精神
78日本の現在の文化的遺産は、ほかの国のものと違って、単なる旧跡でなく、「生きている」ことが大きな特徴である。
81日本人の「死」に関する特殊な観念……日本の死者は死んでもなくならない。……死ぬというのは「退去」なのであり消散ではない。
83古代のゲルマン人・死んだ人間の霊魂は北の海に行って、次の出番を待つ……今日でもドイツ語のSeele(ゼーレ・霊魂)はSee(ゼー・海)の派生語なのである。語尾のlは「……海に帰属するもの」という意味を示す接尾語である。くわしく言えば古代ゲルマン祖語*sawaz(海、湖)の派生語として*saiwala(海に属するもの)という語があり、これがゴート語のsaiwala、ドイツ語Seele、古来語sawol、現代英語soulになった。したがって、英語で人間の霊魂の不滅などを論ずるときは、spritとかmindとか言わずに、soulを用いるのである。
83日本で古い神々の神社が生きているのは、もちろんこの信仰と深い関係にあると見るべきであろう。「死んだ祖先がまだ生き続けて自分を見ているかのごとく感ずる」こと、これが後世の日本人の生活のあらゆる面に関係してくるのである。
86日本人が死んだ祖先のことをいつも気にしているのは、明治に日本に来た外人の目にはひどく異様に見えたものらしい。それでラフカディオ・ハーンなども、日本の特徴を、「死者の支配(レグヌム・モルトオルム)」と言っているくらいである。
86G・K・チェスタトンは、これ(死者のことを考えるのが正統主義のセンスである)を時間的民主主義の拡大と名付けている。普通の場合、民主主義の拡大というのは、選挙権の水平的確題に対して用いられてきたわけだが、彼は死者の意見を考慮すること、つまり伝統として残されたものに、しかるべき敬意を払うことが民主主義を拡大することになると考えたわけである。
88民族として、また土俗としての神社は、西洋の意味での「宗教」ではない……というのは、民族としての神道は「教義(ドクリン)」がない。教義がないのは、西洋人の概念では宗教(リリジョン)ではなく、民俗(フォークロア)である。
89革新と称する者は、最悪の独裁君主よりも、もっと独裁的であったことをわれわれはよく知っているのである。保守的なことが民主主義というのは逆説として響くが、これには確かに真理が含まれている。チェスタトンは西洋の正統思想が民主主義であることを巧妙に説明したが、それが日本史に、かなりよく当てはまるように思えてならない。
93ユダヤ人は貧民ゲットーから素晴らしい学者や芸術家を輩出し、犯罪者が少ないのはどうしたことか。その理由が経済的条件であるわけでないことは明らかである。さまざまな理由があろうが、私は「先祖が意識されているかどうかにある」とあえて断言したい。私がユダヤ人の家に招かれて感激したのは、そこでは先祖が祭られていたことである。死んだ祖先には、その好物を供えたりする点、私が幼いころの日本を思い起こさせるものがあった。そして彼らは、何千年か前にいたダビデ王やモーゼを自分の先祖だと意識している。この意識があるからこそ、国を失ってから何千年も経ってからイスラエルを建国したり、あるいはユダヤ人という共通意識を持ち続けているわけである。ユダヤ人の神は一神であるが、同時にユダヤ人は戦前の日本人のような先祖意識を持ち続けている。このため、ユダヤ人の母は、「ジューイッシュ・マザー」という言葉があるほど、賢母が多い。ユダヤ人のゲットーからは学者や芸術家が輩出するわけである。
107(聖徳)太子といえばまず憲法である。……憲法(いつくしきのり)と読むらしい。「いつく」とは「斎(いつ)く」、つまり、「心身を清めて神につかえる」という意味から出ているのであるから、憲法とはおごそかな気持ちで取り扱うべき掟ということになる。
110「篤ク三宝ヲ敬ヘ。三宝トハ仏(ホトケ)・法(ノリ)・僧(ホウシ)ナリ」……仏教は、当時にあっては、まだ優れた宗教哲学としてのみ存在し、大祈祷など、今日の仏教がやるようなことはやっていなかった。したがって、「法とは優れた思想からくる学説であり、「僧」は学者である。つまり今流に言えば、仏・法・僧を重んずるということは、学問精神を尊び、学者を大切にし、民主主義思想を重んずるといった意味に近いと解釈したほうが実体に近いであろう。
116他者の長所を率直に認める日本の特性
117まず異質文明の長所を認めて、マスターする……このため、日本人は欧米人から「人真似猿(コピイング・マンキー)」と嫌われたのであるが、このおかげで、有色人種は白人の半永久的支配から脱する契機を掴んだと言ってよいと思う。
122先祖崇拝(アンセスタ・ワーシップ)……子供のころに私が神様であるとして拝んだのは日本人の遠い先祖で、しかも偉い人である。私が仏様として拝んだのは自分の身近な人で、あまり偉くない人たちであった。こういう先祖崇拝をドイツ語ではアーネン・クルトと言うことを知ったのはもっとあとになってからであるが、日本の家庭においては、カミもホトケもアーネン・クルトという一つのカテゴリーの属するのである。そして平均的日本人は、たいてい、こういう神仏の理解の仕方をしているのではないだろうか。
129三島由紀夫が「何とて天皇(すめらみこと)は人にならせ給いしぞ」と叫んだ。
131「正統」といえば、西洋においてはカトリック教会について言われることが多いのであるが、チェスタトンの次の言葉を今、思い出したので挙げておきたい。「正統とは何かしら鈍重で、単調で、安全なものだという俗信がある。こういう愚かな言説に陥ってきた人は少なくない。だが実は、正統ほど危険に満ち、興奮に満ちたものは、ほかにかつてあったためしがない……正統は、いわば荒れ狂って疾走する馬を御する人の平衡だったのだ。ある時はこちらに、ある時はあちらに大きく身をこごめ、大きく身を揺らせているがごとく見えながら、実はその姿勢はことごとく、彫像にも似た優美さと、数学にも似た正確さを失わない」
132「われわれは三〇年前に日本を破り、天皇を人にしたはずである。ところが、その天皇は健在で、日本は世界一のスピードで産業を発展させ、世界一強い円を持っている。勝者であったイギリスは、すでに追い越され、アメリカが追い越されるのも時間の問題である。そして当時の戦争に関係したヒットラーやムッソリーニが亡びたのはもちろんのこととしてチャーチル、スターリン、ルーズベルト、トルーマンもすでに亡い。しかるに日本の天皇はアラスカでニクソンに迎えられ、ヨーロッパでは歓迎されるうえに、戦争で失ったオキナワまで返してもらった。天皇は本当にゴッドなのではなかろうか」(あるアメリカ人の投書の趣旨)
137『僧尼令』第二十七条「オヨソ僧尼タルモノ、上ハ法象ヲ観、カリニ災祥を説キ、語コト国家ニ及ビ、百姓ヲ妖惑シ、ナラビニ兵書を読習シ、殺人奸盗ヲナシ、オヨビ詐リテ聖道ヲウルト称スル者ハ、マタ法律ニヨリ、官司ニ付シテ罪ニ科ス」「オヨソ僧尼ノ吉凶ヲ朴相シ、マタ、小道・巫術(ブジュツ)・療病スルモノハ、ミナ還俗セシム」
142天武天皇・伊勢神宮・六八五年・式年遷宮……持統天皇の年代に第一回の式年遷宮が行われて以来、本年度(昭和四十八年度)の第六十回正遷宮に至るまで、約一三〇〇年間、そのことが廃れなかったことは、世界史の奇跡といっても誇張でない。
148和気清麻呂が宇佐八幡に祈願したとき、次のような神のお告げを得たという。
「ソレ皇緒ヲ紹隆シ国家ヲ扶済センガタメニ、一切経及ビ仏ヲ写シ造リ、最勝王経萬巻ヲ諷誦シ、一伽藍ヲ建テ,凶逆ヲ一旦ニ除キ、ヲ萬代ニ固メン。汝コノ言ヲ承ケテ遺失アルコトナカレ」
150仏教という高等宗教は、日本のカミに骨抜きにされ、先祖を祀る宗教にされてしまったのである。神仏習合説は最初、仏が神を包み込むために考え出されたものであったが、気が付いてみたら、ホトケとカミの差はなくなり、いつのまにか偉い死者はカミ、偉くない近親者の死者はホトケというような差までつけられてしまったのである。専門の学者はこのような現象をどう呼ぶのか知らないが、私はこれを「仏教のシャーマナイゼイション」、つまり「先祖崇拝化された仏教」、もっはっきり言えば、「カミに従えられたホトケ現象」と呼ぶことにしている。
152光明皇后はすでに天平の昔に飛田院や施薬院を建て、一〇〇〇人の垢を洗おうという願を立てられたのである。その一〇〇〇人目の癩病患者が膿を吸ってくれるよう願ったのでそれを吸ってあげられた。すると、その病人はただちにアシュク仏(如来の一種)となって空中に消えたという。これは伝説であるが、癩病院を建て、自らその患者の世話までなさったことまでは事実である。さらに伝説を一つ加えておけば、インドの見生王が、生きた観世音菩薩に会いたいという願を立てたころ、「東方の光明皇后を見よ」というお告げを得たので、問答士という彫刻家をはるばる来朝させ、皇后をモデルに三体の仏像を彫らせた。薬師寺の吉祥天の像も皇后をモデルにしているという。この辺、事実と伝説が絡まりあっていて断ちがたいが、皇后の人となりを示すには十分である。
160悪人なき日本の後宮
160貞明皇后(大正天皇の皇后)は千数百年前の光明皇后を尊敬されること篤く、特に救癩事業に力を尽くされたと聞く。光明皇后の影響ばかりではないが、日本の皇后および後宮に悪人がほとんどいないのに驚かされる。
194日本最初の詩集は『懐風藻(かいふうそう)』(七五一年)である。詩集といっても漢詩集で、主として五言詩である。
226世界最古の百科事典『秘府略』
235「仏教オカルテズム」としての天台・真言
236……密教を、和英辞典で引くと、esoteric Buddhism(秘密の、あるいは難解な仏教)としてあるが、これは誤訳に近い。学問的にむずかしくてもestericと言えるからである。私ならBuddhism occultism(仏教オカルテズム)と訳すだろう。オカルテズムは女性原理であるから、虫のよいところがある。加持祈祷をしてもらうことによって、自分はそれに値する者になることなしに、現世において名誉や幸福や健康を得ようというものである。お客様がお客様なら、祈祷をやるほうもやるほうなので、釈迦の弟子であるべき僧侶が、みんな現世の利益や幸福を求めようということになった。その面で寺同士の競争が起こって、僧侶が武器を持つに至ったり、国家鎮護の道場であったはずの比叡山が、いちばん天下を乱し、天皇を嘆かせるということになったりした。
237鎌倉新仏教――五世紀早い、日本の宗教改革
238善根とかは問題にならない。つまり鎌倉仏教は、個人の信仰問題に重点が移るのである。その宗教を信じない人から見ると、独善としか見えない行為が増えてくる。
240宗教改革の時にルターが掲げたモットーも、「ただ信仰によって」(soulum fide)であった。そして、日本におけるのと同じ結果が生じた。信仰さえあれば、どんな悪いことをやっても救われると考えた人が相当出た点においても、善根も学問も用はないという人が多く出た点でも、そっくりである。
240「猫の神学」「猿の神学」……「信仰のみ」を基調とする神学を「猫の神学」というのである。猫が自分の子どもを運ぶときに、その頸をくわえる。猫の子は何もすることがない。おや猫にまかせればよいのである。ちょうど、阿弥陀の慈悲にまかせるように、あるいはお題目のお力にまかせるように。それはルターの「信仰のみ」の考えに通ずるし、、カルヴィンの予定説(プレデステネーション)もこれである。カルヴィンの神学の場合は、親猫が口を離せば子猫は落ちる。それは、子猫のほうではどうすることもできないという神学である。したがって当時(宗教改革?)のカトリックは、プロテスタント信者を「ルターの猫の子」とか「カルヴィンの猫の子」と言っていた。これに反してカトリックにおいては、救いは神と人間の共同によるという。ちょうど、猿の母親が小猿を運ぶのに似ている。母親も抱えるが、小猿もすがりつく。それによって成り立っているので、母猿が木の枝を渡るときに小猿が手を離せば小猿は落ちる。つまり、人間のほうでも自由意志で地獄に落ちうるのだし、逆に落ちたくなかったならば、母親にすがりつかなければならぬ。つまり、この世での善業・善根が必要だということになる。
244平安時代に無比なる女性文化を作って見せた日本は、その後、約七〇〇年間、徹底的に男性的な時代、つまり武士の時代に入ることになる。それは、まことに男性度の高い文化であったことは、切腹の習慣一つからも知られよう。このようにして日本は、現在までに男性的文化も女性的文化も、その両極を体験したことのあるほとんど唯一の民俗である。
248検非違使庁
249武士のメンタリティの本質とは (1)オトシマエをつける (2)シマを守る……シマの語源は「死守(しもり)」あるいは死守(しまもり)」が縮んだ形 (3)カッコよさに命をかける (4)女は厄介もの
256主権在民を示した承久の乱
259どっちかに割り切らないで両方を立てておくのは、カミとホトケ以来の日本式アイデンティティ維持法
261『貞永式目』第二条「寺社異ナレリト雖モ、崇敬ハ是同ジ」
262泰時の起請文「梵天・帝釈・四天王、総ジテ日本国中六十余州ノ大小ノ神祇、殊ニ伊豆箱根両所権現、三島大明神・八幡大菩薩・天満大自在天神ノ部類眷属ノ神罰・冥罰各罷り被ルベキモノナリ。依テ起請如件」
264武家社会に現れた貞操観念
266「女の道」で権威を得た北条政子
268「日本の母」のイメージは鎌倉から
276蘭渓のあと、二代目の住持として建長寺に迎えられたのは、やはり宋から来た兀菴(ごったん)和尚である。この人はひじょうに厳しく、いろいろのことに文句を言ったので、「ゴタツク」という言葉は、ここから出た、という説があるくらいであった。
279蒙古襲来で見せた青年武将・時宗の胆力 天才詩人頼山陽は、『日本楽府(がふ)』の中で「相模太郎(さがみのたろう)ハ肝甕ノ如シ」と表現している。
280密教的発想に縛られた朝廷の弱さ 元寇について一言すれば、時宗が文永・弘安の役で大勝した功績に対する朝廷の評価は、きわめて低いものであった。つまり、従五位上から正五位下に位一級をすすめられただけであった。まだ密教的影響を受けていた朝廷が、いかにピンボケであったかを示しているよい証拠である。つまり、元寇の勝利は、一所懸命お祈りをしたり、護摩を焚いたりしたご利益のおかげだと思いこんでいたのである。「大元三百萬騎の蒙古ども、一時に亡びしこと、全く吾国の武勇にあらず、ただ、三千七百五十余社の大小の神祇・宗廟の冥助にあらずや」(『太平記』)といった発想法なのである。「神風」ばかりが強調され、蒙古軍が内陸部に入ってくるのを阻止するために働いた武士のことは、すっかり忘れ去られてしまっている。上陸できないでぐずぐずしていたから、秋先の台風が来たのだということは、忘れられているのだ。……密教からまったく抜けていた明治天皇は、日露戦争のときに時宗の苦労を思いやられて、明治三十七年、勅使を円覚寺にある時宗の墓にお遣わしになって、四階級特進して従一位をご追贈なられた。

○以下「解説」谷沢栄一
抜き書き
296頼山陽『日本外史』岩波文庫
300自分の親を譏る者を、どこの誰が尊敬するか。自分の国を非難する者を、いかなる外国人が尊敬するか。わが国と、わが国民とを、深く信頼する誠実から、渡部昇一の独創的な見解が、常にコンコンと沸きでるのである。
300『日本語のこころ』(講談社現代新書)は、日本文化の根本を解明した最高の成果である。


HPわたしの抜き書き集