移転は12月25日、年の瀬も迫ったクリスマスの日。20世紀最後のクリスマス、街路樹に巻き付けられたきらびやかな豆電球の点滅、冬休みに賑わう町並みを他人事と決め込み、早朝、姉の元に到着。
受付で諸費用の精算を済ませました。食費以外の全額は給付金で充当されていました。母親と同時の入院、出費の嵩むなか、有り難いことでした。何か申し訳ないような気持ちになりながら、領収証の合計欄を見ると「496,310円」と印刷されています。
1カ月約50万円の費用、わたしはこのことを書いておかなければならい、そんな義務感を感じています。健康な方々が支払ってくれた保険金で賄われた金額であるからです。また、多くの税金でも賄われているはずです。いわば、無意識のうちに人々は福祉に参画している、わたしはこの事実をぜひ、記しておきたいと思いました。その一部をわたしの姉のために使わせていただきました。謹んで感謝申し上げるためです。
出所に当たり、担当看護婦であったAさんが車まで車椅子を押してくれました。姉はAさんの手を握って放そうとしません。ここ1カ月が幸せであったことを物語っていると感じました。
姉の3番目の緊急預かり場所となった療育センターは、東京都とは言いながら、埼玉県にほど近い場所で、住まいからは自動車で2時間ほどの場所にありました。広い敷地に立った近代的な建物でした。
玄関に到着すると、電話でしか話しことがなかったケースワーカーのOさんが迎えてくれました。お会いして初めて知ったことですが、Oさんは電動の車椅子に乗った方でした。「はじめまして」とにこやかに挨拶され、わたしもうれしくなって「はじめまして」と答えました。反面、姉は落ち着かない様子でした。
病棟までOさんが案内してくれます。車を止めた玄関から姉が居住する場所までは距離にして50メートル位はありました。そこをスイスイとOさんは電動の車椅子を自在に操り、会話を交わしながら、案内をしてくれました。この療育センターは完全なバリア・フリーの設計になっていて、床に段差がないのです。その他、あらゆるところに配慮が窺われました。
短期間ながら、ここで姉の新しい経験は積まれることになります。「どうか、慣れてくれるように。また、日々、幸せであるように」、わたしは久しぶりに祈るような気持ちになって、姉の横顔を見つめました。
− つづく −
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