― ちょっとだけ自己紹介 ―

私の前半の人生はカルトに所属していて、肩の力の入った人生でした。今はやめて、清々しい気分で新たな人生を送っています。

  私のいたカルトは、しつこい勧誘や政治支援は行うものの、殺人・暴力などという極端な反社会性を有していたわけではありませんでした。それは不幸中の幸いといえるかも知れません。

  でも、「やめると大変なことが起きる。グループを批判すると罰が当たる。死んだら地獄に堕ちる」という恐怖がついて回っていました。少し活動を怠るだけで、人生は悪い方向に進み、死んで地獄に堕ちる、そんな強迫観念に常にさいなまれていました。

  その反面、「この教えに出会えた自分は生まれる前からの因縁があり、過去の行いがよかったからだ。この教えを広める使命を持って自分は生まれてきた。人とは違う」そんな優越感で自分を特別視していました。この自己特別視はまた、他者蔑視につながっていました。

  カルトの活動家であるということは、この“恐怖と優越感”、言い換えれば“強迫観念と他者蔑視”が自分の大きなパーソナリティの大半を占めることになります。
「なんかおかしいな?」と思ったのは20代の半ばごろ。不眠と食欲不振。神経は異常に敏感になり、ある日、胸が苦しくなって、救急車で病院に……。診断は自律神経失調症、心臓神経症ということでした。

  なんとか立ち直るのに数年の歳月を要しました。
 少し回復したころ、カルト時代の思いを綴って出版社に送りました。副編集長が会ってくれるといいます。髭を蓄えた痩せた頬、眼鏡の奧の眼差しの優しさが印象的でした。

  「これ、読まれましたか」、差し出された本はスティーヴン・ハッサンの『マインド・コントロールの恐怖』。社会心理学との出会いでした。そして、その本を頼りにもう一度、自分のカルト経験を綴りなおしました。

  結局、この本は出ませんでした。内容は一方的なカルト批判。出なくてよかった、と今は思っています。数年を経、大きく気持ちが変化したからです。けれども、脱カルトの大きなきっかけとなった人生の一幕であったことに変わりはありません。

  カルト時代の自分を思い出すと「バーチャル・リアリティな人生だったな」と思います。

「永遠の過去からの因縁ある師匠のもとに使命を持って生まれてきた、いまの自分の活動がやがて世界平和を実現する……」そんな夢想に酔いしれた日々。甘美で懐かしい思い出と感じます。いまでは「宗教なんか信じているうちは幸せかも知れない」とやや自嘲気味に思ったりもします。

  ところで、カルトはやめることよりも、やめたあとに立ち直ることのほうが、さらにむずかしいと実感しています。

  そんな自分の経験から、マインド・コントロールのリハビリテーションの手助けをしています。つまり、カルトをやめたあとの心のケアのお手伝い。

  宗教活動に参加し、そして、ドロップアウトにした人いませんか? 宗教で傷ついた人はいませんか?

  特にそんな人に私のホームページは見てもらいたいと思います。もちろん、そうでない人も大歓迎。

  過去の経験から、カルトのドロップアウトした方々の相談に乗るようになって3年近くが過ぎました。

  カルトをやめた人も、やめようとしている人も、お気軽にメールをください。必ず心の手助けになることができると思います。

  ただし、私の目的はカルトを批判することや、脱会をすすめることではありません。脱会後のリハビリテーションに主眼をおいているとご理解ください。争うことはまったく目的に入っていないのです。教義のうえから正邪を決するなど論外です。これが鉄則としてのスタンスです。

  最後に、脱カルトのためにやさしくお付き合いをくださった静岡県立大学の社会心理学博士・西田公昭先生、横須賀の楠山泰道先生、弁護士の滝本太郎先生に、この場をお借りして改めて深く感謝申し上げます。また、この度、抜き書きの掲載をご快諾くださいました東邦大学医学博士・高橋紳吾先生、そして、リンクをご快諾くださいました恵泉女学園大学助教授・川島堅二先生にも深く感謝申し上げます。そして、脱カルト・マインド・コントロールの具体的なイメージを最初に提示くださった晩聲社の元副編集長・土肥寿郎さん、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

付: 心の略歴
執筆その他

いわたち せいごう


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