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◆私の名前
私の名は蓮月。俗名を藤谷不三枝といって、女の僧侶。自他共に認めるパンク・ボーズです!
◆私の職業
一応、僧侶です。
右から見ても左から見ても、逆立ちしてもそうは見えないらしいけど!
ある人などは、「藤谷さんがお坊さんやて他の人から聞いて、後ろにひっくり返るぐらいびっくりしました」と言っていました。
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世間には、いわゆる「先生」族のなかにいかにも「それらしく」見える人っているものです。宗教者、学校の教師、医者、弁護士、国会議員、作家等々。
なぜ、「それらしく」見えるのでしょうか?
イメージどおりに自分をあわせ、それらしくぶってるからで、坊主が坊主らしく見えるのは、人を教え導こうという「教化者意識」が働いているからなんですね。
だから、私もいつか「坊さん」らしいとか「先生」とか言われるようになったら、おしまいだなって思ってマス!
蓮月著 同時代社
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◆本来の仏教、今の仏教
もともと、お釈迦さんは説法、講演会をして回ったのであって、読経したのではありません。
お釈迦さん、私は彼の個人名シッダルータ、と呼びたいですが、お経は彼の滅後200年もたってから、教えを継いだ者たちによって討議され編さんされたものですから、直接教えを聞いてきたものもいないわけですし、当然その時代社会を反映するものとなるわけで、そうすると残念ながら、その時代・社会のもっていた差別性も含まれてくると思うのです。
だから、お経は絶対化してはいけない。
そんなお経を、それでもまだ、中国は中国語に訳して読むわけですが、日本だけが、中国語の漢文のそのままを、音だけ拾って読むという読経をしているのですから、坊主も意味を確認して読んでいるのでもないなら、ましてや後ろで座って聞いている一般の人たちがわかる筈がありません。
こうして坊主たちは、呪文化したお経を読み、仏教本来の姿勢でもない正座をし(武士が片足たてて刀をサッと抜ける姿勢と聞いています)、高い金で立派な信者であるとお墨つきをもらう「院号」、お葬式の時に白木の位牌に書かれてある長ーい名前、あれのことですが、をつけて回る。
要するに、シッダルータがしてないようなことばっかりをしている。
かくして坊主は、「院号」を書く字の腕を磨き、読経の声を磨き衣の色と寺の「格」でだます、これで「立派な御院さん」一丁あがりィ!というわけです(笑)。
私は、闇を破る月に照らされて、泥沼にこそ花を咲かせる白蓮華のように花を咲かせたい、との願いを蓮月という名に託す自分を、この世で最もかけがえのない存在として愛しています。 |
信心なんて |
蓮月(れんげつ)さん 真宗大谷派僧侶 大阪府守口市覚了寺在住 1994年、覚了寺の蓮月さんを支える会が発足 1998年、覚了寺の蓮月と共に歩む会に移行 会報誌『覚了寺の蓮月と共に歩む会』を不定期で発行 ジャズダンス、モダンバレー、ヒップホップを踊るパフォーマー
著書 |