岩本裕博士のこと

もし、岩本博士の著述との出会いがなかったら、私の脱カルトはままならなかった……そう思うほど、多大な示唆をいただきました。
岩波文庫版の法華経の梵文直訳『正しい教えの白蓮』は世界に誇れる博士の偉大な業績の一つです。
博士のプロフィールは『極楽と地獄』「裏書き」転載して紹介してあります。
また、ここに博士の一文を紹介したいと思います。

『佛教入門』とか『極楽と地獄』とか、また『観音の表情』とか、仏教に関係のある著述を書いているわたしを人は仏教学者だと考えるかも知れない。しかし、わたし自身には、そんなことはどうでもよい。ただ仏教者の嘘をあばき、仏教の真実の姿を知って欲しいと念じているのみである。事実、仏教は筆舌に尽くせぬ程素晴らしい。その素晴らしいさも今は汚い手でよごされて、『布施』も『救済』もない事実を十分に知った上で、仏教に近づいていただきたい。と言って、わたしに信仰が必要になったときでも、わたしはいわゆる仏教信者にはならないだろう。それはなぜか。ある特定の宗旨だけを信ずるには、他があまりにも惜しいのである。それよりも、フリーな立場で仏教に耽溺する方が、どれだけ楽しいかわからない」

痛快きわまりない世界に名だたる学者の言です。巷間、仏教では世間の学者を僧侶の下に見る傾向があります。しかし、そんな風潮にも、法華経の全訳に事よせながら、博士は痛烈な一撃を加えています。

「特定の立場から批判に対しては耳を籍す考えもない。もしこの訳文(『正しい教えの白蓮』に不満な人があるならば、自ら全文を平易に口語訳して江湖に訴えられるとともに、訳者に無言の教示を垂れていただきたい」(岩波文庫版『法華経』上「あとがき」)

この言葉は『佛教入門』の「はじめより」

「実に佛教と学問を混同し、学術的研究と教学とを同一視し、両者の区別を付けられないのがわが国のいわゆる佛教学者、特に僧侶で佛教学者といわれる人が多いことも知っておく必要があろう。このような人々はかれらが学術的論文と称するものにおいても説教を忘れない」

という辛辣な鉄槌とともに日本仏教界の裏事情を想像させて、あまりあるものがあります。
博士が仏教の嘘と言わずに仏教「(学)者」の嘘というところに注目したいと思います。私は博士が常に語った仏教(学)者の嘘を道標として、仏教のなんたるかを考えてきました。その結論は、この『宗教雑考』においても種々、紹介しておこうと思っています。

仏教系の信仰にある方、また、そうでない方も、ぜひ、一度、岩本裕博士の著述を熟読玩味されることをお薦めします。「眼から鱗が落ちる」そんな衝撃に身を震わせられることでしょう。
まずは、当サイトに用意した[抜き書き]を参考になさってください。

『極楽と地獄−日本人の浄土思想』岩本裕 [抜き書き]
『仏教入門』岩本裕 [抜き書き]
『布施と救済』岩本裕 [抜き書き]



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2000/03/10更新