「私が謝るとね、そのお母さん、その子供の頭を押して、『あのお姉さんに謝りなさい』って、その子のことを怒鳴るんだよ。それで、二人で深々と頭を下げて、何度もなんども『ごめんなさい、すみませんでした』って謝って、帰っていった。こっちが謝らなきやきいけないのにね。
……そんなことがあった。それがね、あの子、あのおまえが殴った子供、小学校の先生になったんだって。それで就任の挨拶で『私は、むかし小学生の時、近所の障害者のお姉さんに石をぶつけました。それを、その弟さんに見咎められ、反対に殴られたのです。家に逃げ帰ると、今度は母親にひどくしかられました。その経験を一生の戒めとして、私は小学校の教師になりました』そう挨拶をしたって」
淡々とした母の語り口を聞きながら、熱いものがこみ上げてくるのを感じました。
名も知らない先生になった小学生、わたしは、いまでもこの方と、このお母さんに深い尊敬の念を感じ続けています。
この"先生になった小学生"この方が獲得したもの、それを、わたしは「心の健康」であると思うのです。
21世紀を生きるわたしたちが、いまどうしても克ち得なければならないこと、それはまず、この心の健康です。それはまた、心のバリアフリーと換言してもよいかと思います。そして、老いも若きも、健康な方も障害を持たれた方も、同じ大地に足を着け、共に生きていくという当たり前の社会を作ることではないのか。わたしは、そのように考えています。