トップページへ戻るUPDATE:01/01/02

障害者家族 INDEX へ


 先生になった小学生

 いまは、よい時代になったと思います(注1)。わたしが若い頃、近所の子供たちがうちを取り巻き、ニタニタと意地悪な笑みを浮かべながら、障害者の姉を眺めていました。罵声を浴びせるもの、右を投げるもの、水をかけるもの……。そんな子供たちから、母は必死になって、姉と、そして、わたしを守ってくれました。

 これはあとになって聞いた話ですが、わたしが生まれる前、度重なる近所の子供たちの来襲に業を煮やした父は、近くの小学校に直談判に行ったそうです。 事情を話すと、校長先生は大いに同情を寄せてくれました。次の日、朝礼の挨拶に立って、教戒してくれました。

「学校の近くに障害者の方がいます。そこに見に行ったり、悪さをしてはいけません……」

 その結果は、どうなったか…、下校時問、興味津々の子供たちで、我が家に幾重にも人垣ができました。父母は障害者の姉を背負い、引っ越さざるを得なくなりました。

 そんな昔に比べ、いまの子供たちは優しくなったと思うのです(注2)。時折、我が家の私道を覗きこむ子供はいるにはいますが、しかし、人垣ができることはありませんし、石を投げつける子供もいなくなりました。

 少しずつ、この世の中に障害者を理解するという暗黙の意志が働きだしている。わたしには、そのように感じます。

 わたしのなかの“昔と今”をつなぐ一つのエピソードを書きたいと思います。

 中学生の頃のことです。学校から帰って、家の私道まで来ると、いつものように小学校とおぼしき子供が姉に向かって唾を吐きかけ、罵声を挙げながら、石を投げつけていました。

 相手は小学生、わたしは体の大きいほうではありませんでしたが、それでも小学生に比べれば体格は上です。怒り心頭に達したわたしば、その子供の胸ぐらをつかみ、宙に持ち上げ、地面に叩きつけました。よろよろと立ち上がったその子供を、今度は鉄拳で殴り飛ばしました。子供はワーワーと泣きながら逃げ掃っていきました。

 わたしは、そのとき、自分のなかに、たしかに殺意という感情があることを知ったものでした。しかし、理由はどうであれ、人を殴ったり、傷つけてよいはずはありません。逆上して、ひ弱な自分よりも小さな子供を傷つけた。罰せられても仕方のないことだと思いました。障害者の姉を傷つけたからといって、その相手を傷つける、これでは本末転倒だ、そんなことは中学生のわたしにもわかりました。

 子供心に「訴えられる」と覚悟しました。じきに子供の親が怒鳴り込んでくることだろうとも思いました。

 ところが、何時間経っても、何日経っても、その気配もありません。「子供の親は来なかったのだろうか」、わたし訝(いぶか)しく思ったものです。そして、いつしか、その出来事は意識から消え去っていきました。

それから十数年を経たある日、母は空を仰ぎ見ながら、呟くように話し出しました。

「おまえ、中学生の頃、小学生を殴ったことあったろう」

 わたしの記憶のなかから消え去っていた、その事件がまざまざと想い起こされます。観念して「ああ」と小さな声で応ずると、母は続けます。

「あの日、お母さんが子供を連れてきたんだよ」

やはり、文句をいいに来ていたのだと、身が縮む思いがしました。

「私が謝るとね、そのお母さん、その子供の頭を押して、『あのお姉さんに謝りなさい』って、その子のことを怒鳴るんだよ。それで、二人で深々と頭を下げて、何度もなんども『ごめんなさい、すみませんでした』って謝って、帰っていった。こっちが謝らなきやきいけないのにね。
 ……そんなことがあった。それがね、あの子、あのおまえが殴った子供、小学校の先生になったんだって。それで就任の挨拶で『私は、むかし小学生の時、近所の障害者のお姉さんに石をぶつけました。それを、その弟さんに見咎められ、反対に殴られたのです。家に逃げ帰ると、今度は母親にひどくしかられました。その経験を一生の戒めとして、私は小学校の教師になりました』そう挨拶をしたって」

 淡々とした母の語り口を聞きながら、熱いものがこみ上げてくるのを感じました。 名も知らない先生になった小学生、わたしは、いまでもこの方と、このお母さんに深い尊敬の念を感じ続けています。

 この"先生になった小学生"この方が獲得したもの、それを、わたしは「心の健康」であると思うのです。

 21世紀を生きるわたしたちが、いまどうしても克ち得なければならないこと、それはまず、この心の健康です。それはまた、心のバリアフリーと換言してもよいかと思います。そして、老いも若きも、健康な方も障害を持たれた方も、同じ大地に足を着け、共に生きていくという当たり前の社会を作ることではないのか。わたしは、そのように考えています。

(注1) (注2) よい時代、優しい子供、このように記すと、少年犯罪といった現代世相を見過ごしているののではないのかという批判をなさる方もいるかも知れません。もちろん、わたしもそのようなネガティブな面は認識しているつもりです。反面、現代の子供たちは、本当に優しく、そして、親の世代が持ち得なかった善い面も多く持っている事実を看過できません。それにもかかわらず世間を騒がすニュースにばかりに翻弄され、善い面を見過ごしてしまえば、その芽を摘み取ることに等しいと思うのです。この点については、また別項を設けて考えていきたいのですが、ここでは、まず善い面を前面に取り上げて記述しました。

−次頁へ−


TOP障害者家族 INDEX次頁