この発言の裏にはホドル氏の宗教信条があったと言います。「業」とは、つまり、カルマの漢訳であり、現代語に直訳すれば、「行い」「行為」ほどの意味になります。わたし自身、このような業思想、因果応報論に永らく支配されてきたものでした。また、宗教という現場で同様の出来事を無数に見聞してきました。宗教が差別の装置の一部となるとき、計り知れない恐怖の力を発揮します。
また、このような宗教信条が支配構造のなかに巧みに取り入れられるとき、人々は恐怖によって支配下におかれることになります。ホドル氏の事件では、彼は完全な加害者でした。しかし、このような発言をせざるを得ない強迫観念にとらわれた彼自身もまた、悲しい犠牲者なのかも知れません。
少なくても日本社会における宗教世界では、業観念による差別構造は終焉を迎えておらず、依然として、ホドル氏のごとき、差別が繰り返されている点は看過できません。
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