トップページへ戻るUPDATE:01/01/02

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 母の入院と姉の緊急預かり 〜2〜

 都下にある療育センターと呼ばれる施設が姉の入所先です。重度の身体障害と知的障害を併せ持つ“児童”のための施設だということでした。

 このような施設の絶対数は完全に不足しています。そのために、わたしの姉のように認定でもっとも重度に属する障害を持っているとしても、一時的な入所しかできない現状があります。また、東京都の施設でありながら、青森県などの遠方に置かれていることも多いと聞いています。この点は徐々に改善される方向にあるのいうことですが、東京に住む肉親が容易に面会に出向ける距離ではありません。わたしには、どうにも納得の行かない建設地の設定であると感じました。

 幸いにも姉の入所先は都下。緊急入所ということもあって、取りあえず家族が通える距離に位置するところが選ばれているのだろうと推測しました。

 入所に際し、洗濯物は家族が定期的に来て行うことになっているとのことでした。また、スペースの関係から持ち込む衣類はパジャマ、肌着などそれぞれ5着程度。つまり、毎日着替えをするわけですから、最低でも5日に1度は洗濯に通う計算になります。往復4時間の道のり、仕事の合間といえる距離と時間ではないのですが、贅沢は言ってられません。

 入所に際し、もう一つ、話がありました。

「病室の関係から、最初の5日間は4階になります。お姉さんより、もっと重度の方の病棟なんですが…」

 姉よりも重度、この説明に、まず驚かされました。それまで、わたしは心のどこかで姉より重い障害をもつ人はいないと考えていた自分があったことに気付かされました。

 姉の車椅子を押して入ったその病棟の入り口で、思わず足が止まります。わたしはかなり多くの障害者の方々と接してきたつもりでした。しかし、ここに入所されている児童は、障害の程度がまったく違っていました。たぶん、生まれてこの方、一度も生命維持装置を外したこともない人が多いと想像されます。知能障害は元より、身体的にも欠損、変形が目立ちます。

 当初の驚愕はいつしか感動に変わっていきました。「みんな生きているんだな」と、思えた瞬間でした。

 5日後、5階の病棟に移ると、今度は姉より、軽度の児童たちが多く見受けられます。担当医のM先生は、「がんばらなくていいんですからね」と、わたしに声をかけてくれます。脱カルト後の支援で、元メンバーに常にわたしが呼びかける言葉と同じだと思いました。同様の励ましを、かつて受けたことがあります。所属していた宗教団体の責任役員を自主退任して、精神的にかなりまいっていたころです。

 わたしは静岡県立大学の社会心理学博士西田公昭先生の元を初めて訪れました。種々お話を伺い、帰り際にお礼を述べて「がんばります」とわたしが言うと、穏やかに笑いながら「がんばらなくていいんですよ」と言われたのです。

 あの西田先生の笑顔が、いまもわたしを支え続けています。そして、今回、M先生の笑顔がわたしの心を助けてくれました。

 施設入所、この通過点を障害者のご家族は、わたしと同様の思いで越えられたのではないのか…そう思います。

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