「如是我聞(にょぜがもん)」 漢訳仏典はこの定型句で始まります。「是(かく)の如(ごと)きを我聞きき」、現代語にすれば「私はこのように聞きました」というところでしょうか。古来、この言葉は多聞(たもん)第一の弟子・阿難尊者がお釈迦様から聞いたという意味であるとされてきました。実際、そのように意図された経典もあろうかと思います。しかしながら、わたしはそれ以外の可能性として、経典創作者たちが自分の師からそのように聞いたという意味もあったのではないのかと想像しています。また、その師は嘘を語ったと言うより永らく学んできた伝承を弟子に語ったのだと思います。
古代の伝承のこと、尾ひれが付き、潤色され、事実からどんどんかけ離れていったと想像しても大きくはずれていないでしょう。それを聞いた創作者は聞いたままに「如是我聞」とし、記したのではないのか? そのように考えると荒唐無稽としか受け取れない『法華経』中の記述も、なんとなくその意味がわかる気がします。たとえば『日本霊異記(にほんりょういき)』を読んで、「こんなことが実際に起こるはずはない」と腹を立てる人がいるとすれば、現代であればかえって失笑を買うことになります。それでもたぶん、昔の人は本当のことであると信じていたことでしょう。伝承された物語をある時期にまとめたものであると思えば納得できます。しかし、現代を生きる我々がこのような古来からの伝承を「字句どおり本当のことだ」と真剣に語ると変人扱いされることは間違いありません。真実と物語(仮想現実)の区別がつかないとなると、これは心の病を心配しなければなりません。それにもかかわらず、宗教グループという現場では、この異常事態が依然として起き続けているのです。これは問題であると思うわけです。
少し横道にそれてしまいました。本題に戻しましょう。地涌の菩薩の物語は経典創作者たち自身のためのものであると考えるほうが自然な形で『法華経』を理解できます。
創作した人々は、自分たちの経典こそ最高のものであるという自負を懐いていたことでしょう。経典の権威性はその内容がお釈迦様の言葉であることによって高まります。では、創作者側の権威はなにによって高まるか? それは自分たちこそ、真のお釈迦様の継承者であるという主張によって、ということになるでしょう。
「お釈迦様は亡くなってもういない。けれど、存命中に滅後の弘教を託した弟子たちがいる…」 経典創作者たちが自分たちを正当化するために、自分たちで創作した経典のなかに、自らを投影した滅後の弘教を託された弟子を描きこんだというわけです。
ただわたしは、この創作者たちは単なる騙り人を欺くことを目的にしたのではなかったと考えたいと思います。『法華経』のお釈迦様に継ぐ、第二の主人公である多くの菩薩たちは、ときには瓦礫を投げつけられ、杖で打たれ、刀で斬りつけられ、命を落とすというシュチエーションで記されています。このようなひどい迫害を受けた人々が経典を創作したのでしょう。その艱難辛苦のさなかで2000年もあとに再登場する人物を記述するでしょうか。それより、いま現実と闘っている自分たちを記述したと考えたほうが、よほどしっくりと理解できます。
先に「お釈迦様はたびたび自分の入滅が近いことを宣言する記述が登場します。この理由を『法華経』を説かれたのが、50年間と言われる説法期間の、最後の8カ年の時期に当たっているからだとするのが教条的な解釈」であるけれど、これには他の理由があると記したのは、以上の理由からです。従来、お釈迦様滅後2000年後の500年と思われてきた薬王菩薩本事品の「わが滅後の後、後の五百歳の中にて…広宣流布」は同品(どうほん)説法後の50年であったことはすでに記しました。このことを考え併せても、『法華経』の記述が2000年後の未来を予言したものではないことがわかります。
経典群の創作と並行する大乗仏教運動の勃興、救世主思想の流入、そこで理想的な信仰者の姿とされたのが菩薩(注)
でした。菩薩を理想として実践する人々は現実の社会のなかで救済に当たっていたかも知れません。その創作者たちがはるか未来に思いを馳せていたでしょうか。仮に彼らが凝視した未来があったとすれば、それは2000年先のことではなく、自分たちがいま生きている時代を、お釈迦様滅後の未来と見たてたのでしょう。