R. M.C. ―― Rehabilitation Mind Controlとはマインド・コントロールによって傷つい た心のリハビリテーショを、わたしはこのように呼んでいます。。

 過去の経験から、元カルトメンバーの相談に乗るようになってから三年が経ちました。

 宗教は本来は人を救うものなのでしょうが、ときにはグループ、またはリーダーの利権が優先され、メンバーを道具のように扱うことがあります。このような状態はカルトと呼ぶべきでしょう。

 わたしは、カルトというのは特定のグループを指すのではなく、その「状態」を指すものであると考えています。

 それにしても、カルト、マインド・コントロールという言葉はメディアにおいて曖昧な形で使用された経緯があり、また、特定宗教団体に、邪教としての「レッテル貼り」をするために利用されたために本来を意味を失ったきらいがあります。

 また、その他の理由からマインド・コントロールを心理学の用語のごとく扱うの不適切であるとして記する人もいます。(注1)

 しかし、わたしは三十年にわたる経験からマインド・コントロールは、たしかに存在すると考えています。また、このマインド・コントロールの技術を用いてメンバーを操作するグループを便宜的にカルトと呼んできました。

 今後、研究が進みさらに適当な呼称が定着するのであれば、その言葉を使おうと思っています。しかし、今のところは「カルト」、あるいは「マインド・コントロール」という言葉を使用していこうと思っています。

宗教で傷ついた人がいる

 言葉の取り扱いはともかくとしても、わたしがいちばん問題にしたいのは、世の中には本当に多くの「宗教によって傷ついた人々が存在している」という事実です。

その人たちは、グループからは退転者・脱会者・裏切り者・不信心者などと数々の罵声を浴びせられたうえ、神仏からも見放された者として、人格すら否定されるような処遇を受けています。

 グループをやめて直ちに普通の生活に戻れれば理想的ですが、しかし、深刻なことに、カルトのグループで影響を強く受けた人は、一般社会への順応度が極端に低いという事実が確認されています。そのために社会復帰が非常に困難です。

 やめたけれども、そこから前に進むことのできない苦しみ、これは一般の人には容易に理解することはむずかしいと思います。そのために元メンバーは、なおさら、一般社会からの疎外感を味わうという悪循環が生じます。

 普通に生きている人にとっても会社での人間関係・仕事の適否など、悩みはたくさんあることでしょう。しかし、元メンバーの心の苦しみと、それは少し異なっているように思えます。

 意識されないことですが、一般社会で生きる人は、知らない間に社会一般で適応する術を身につけていますし、一般通念が一つの尺度になっています。

 それに対し、カルトのメンバーは「社会は間違いで、自分たちのグループだけが正しい」と教え込まれていますから、「一般通念は間違っている」と信じ込まされています。このように信じることから一般通念に適応すること自体、非常に怖いことであると無意識に考える習慣が身についてしまうのです。

 もちろん、これはグループによる教え込みの結果です。このような操作を受けたメンバーは社会から断絶し、ただグループと、その教えのみに集中するようになります。このときから、メンバーは現実の世界とはまったく違う別の“世界”の住人となってしまいます。

 わたしは自分のそのころを思い出すと「あのときの自分は夢の国の住人だった」と思うのです。  現実の社会とはまったく違う世界にいた ―― もちろん、心理面でのことですが、しかし、グループを離脱することは、例えば外国に永らく滞在して日本に戻ってくる以上のギャップがあります。

 わたしの目的は、そのような苦しみの渦中にある人の心の悩みを理解し、正しく社会に復帰できる手助けをすることです。

脱カルトにはリハビリテーションが不可欠

 正しく社会に復帰し、マインド・コントロールを完全に払拭するためには正しいリハビリテーションが必要です。

 このサイトでは、参考になる資料を提供していこうと思っています。順次、内容は更新していくつもりです。ときおり、のぞいてみてください。

 もし、少しでも興味をもっていただけた方、また、実際にカルトの経験をお持ちの方はお気軽にメールをいただければ幸いです。

いわたち せいごう

(注1) 例えば、このような問題について真摯な疑問を発表されている学者では東京大学文学部教授・島薗進博士がいる。
参) 『マインド・コントロール論を越えて』精神医学・40(10):1044-1052,1998/40(11):1144-1153,1998


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